大正12年(1923)4月 |
大阪市東区(現在の中央区)谷町2丁目5番地にて春陽会会友、鶴丸梅太郎画伯を代表者として羽渕寛(号、紅洲、初代)を技術指導者として創業。 |
昭和16年(1941)6月 |
鶴丸梅太郎逝去に伴い、羽渕紅洲が継承、代表者となる。 |
昭和16年(1941)8月 |
政府商工省より技術保存資格者の認定を受ける。 |
昭和20年(1945)3月 |
太平洋戦争の空襲により罹災し、工房全てを消失。 |
昭和22年(1947) |
大阪市生野区東桃谷1丁目5773番地にて再開。 |
昭和35年(1959) |
東桃谷の工房を資材置き場として、大阪市城東区鴫野西1丁目2番7号へ後援者のご指導により移転。 |
昭和46年(1971)2月 |
初代羽渕紅洲の逝去により、羽渕恭夫(号、紅洲、2代目)を継承。 |
昭和51年(1976)3月 |
東桃谷にて、ステインドグラス工芸養成「技情塾」を開設。 約2100名(2014現在)講義、実技、工芸実践論を指導。 |
昭和53年(1978)4月 |
大阪市東成区神路1丁目6番23号にベニス工房社屋ビルを建設し、ベニス工房の総合機能を持たせ活動。 |
平成 7年(1995)7月 |
生駒市白庭台にアトリエを開設。 |
平成11年(1999)4月 |
社屋ビル3階にて、全日制、VSステインドグラスアートプロ養成所を開設。 |
現在 |
創設91年目を迎え、建築設計事務所並びに建築業者のご下命を賜り、本格的なステインドグラス、モザイクグラス、エッチンググラス、キャストグラスステインドなど多くの建築物に制作すると共に、プロ、アマチュアの養成を進め、指導的立場を確立。 優れた美学の応用、巧みな技能、多岐にわたるガラス工芸の実積を礎にして、未来の受注制作に研鑽致します。 |